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安楽死の記事について色々な思考と意見がある。
福祉に関わる物として意見できるならば、現実は思うほど綺麗ではなく、家族間の残酷さや人間の孤独。病気の恐ろしさなど、ニュースや誰かの記事で見るだけの世界ではないとゆう事だ。
その環境に直面したものでなければ想像もつかない非常識な世界である事。
自分の未来がそんな世界の一員になった時はじめて、法律を恨み、尊厳を諦めてしまうことになる。
尊厳は今や他人からの理想と主観的な思考を押し付けられそれを正義とされている。
福祉の世界にいると利用者の意見はほぼ無に近いことに気づく。家族と医療、福祉関係者で話を決め決まった台の上に乗せられ人生を終えていく…
命があるだけ…
それの何処が尊厳を守っている事になるのか不思議で仕方ない。
自分の人生は自分で決めれる。
決められなくなった時の事を考えた指示書を作るなど家族間で話し合いをするなど自分たちで動く事ができる人にならなくては、今まで生きた意味すら無くしてしまいます。
最後まで自分を生きれる人になってください。
優生思想とゆうのもおかしいと思う。けれど突き詰めてゆけばそんな人たちと同感できる所もあると思います。
善か悪かではなく、一つ一つを考えてゆけば
生と死は個人では成り立たず必ず誰かが関わる。その時どれだけ個人を分かってあげられたかが伝えたいのだと思います。
Twitterを読んでいると色んな感情がありますが、やはり人は主観的な生き物で分別の付けれる人間にならなくてはTwitterなどSNSの影響は恐ろしいと思いました。
気になる投稿は頭から離れなくなったり
どんな気持ちでツイートしたのだろうか?など
これが自分への言葉なら辛すぎるよねなど…
感受性の強い方は気をつけて頂きたい。
自分の優しさを少しでも他人に向けれる人が増えたらどんな世界になるんでしょう…