今朝の『グッとラック』で、ロンドンブーツ2号 田村 淳さんと対談している西野さんをみて、『自分を信じる』事に疑いがないな!と印象を受けました。
何かを変えたい時に自分を信じて突き進む事が簡単な事でないこと。
誰にでもできることではなく、とても勇気がいること。
負けん気だけでは乗り越えられない事もあるでしょう。でもいつも高い目標を掲げる事でどんな道でも作れる。
そんな様子が見られました、対談を見た人が100人いれば100人の意見がある。けれど論破する事の必要性も語られ、『自分の意見』の影響やそこの納得は誰のためなのか?
感性が違うのだから無理に分かり合う必要もないのではないか?
まさに『そこ!』
分かり合うを求める必要があるか?
ビジネスで見るならば、意見が違うのなら組まなければよい話。
SNSでコメントをする時にも、わざわざ意見の違う人にコメントをして意味のある意見交換ができますか?
良い物には賛同して広める。悪いものにはアクションしなくて良いと思います。
メディアが間違った報道をしているのに、信じる人が出てしまうというのも、皆でアクションしてしまう事も原因なのではないかと思います。
TV、YouTube、個人SNS、手軽に発信できる事の怖さも知らせてくれていると思います。
長年勤めた会社からの理解も求める事が間違いなのでしょう。
だから過度に会社への義理なんて感じなくてもよいのでしょうね。
働く事に『同等』の認識を持つことが社会には必要で、自身のスキルに見合った対価を得ること。
これが労働ですよね。
何故上下を付けるのか?使う使われるの表現も違う。
お互いの利害を分かち合うから成立している。
仕事はなぜ経営側が有意なのかが不思議で仕方ない。
労働者がいなくては成り立たない。
色んな論理をみてもやはり『同等』でないと気持ちが悪い。
こんな事は昔から働く人みんなで感じている事で、発信するものが悪とされるために発信できなかったのです。
ですが、『発信』の仕方が変わり、個人のスキル、世論をきちんと見透す力もついてきた。
それだけでなく洗脳社会に気が付いてきた。
こうしたことを、最近のタレント、芸能関係の方が発信することで、一般人として生きてる私たちの洗脳も解いてくれるのではないでしょうか?
影響力もなく、陰ながら発信する者の希望です。
コピー人間やめませんか?
常識は非常識
自分の生き方を生きましょう。
世間を変えるのは自分かもしれませんね、西野 亮廣さんありがとうございます。#えんとつ町のプペル#ディズニーよりも暖かい